清少納言の娘・小馬が『枕草子』を貸し出す 『範永集』に記載あり

1000年も前の執筆物が今に伝えられ、
当時の人々の愛憎や悲喜こもどもが現代の私たちに感動を与える古典文学。

時を経て残ってきたものだからこそでしょうか。
いずれも興味深く、人の心をとらえる魅力に満ちています。

その中で、権力闘争や政治的しがらみなどの事情もくぐりぬけて生き残ってきた作品がいとおしく思えてきます。

例えば『枕草子』。
権勢を誇った藤原道長の敵にあたる定子中宮付きの女房だった清少納言の手によるものなのに、当時の人々に受け入れられ、価値あるものとしての地位を保ち流布されたのはなぜなのか、とうい疑問がわきます。

同時に、権力闘争の渦の中で作品が埋没せずに、今に伝えられて良かった、
とうい感謝の思いもわいてきます。

清少納言の娘 小馬の命婦

清少納言には娘がひとりいたとされています。

清少納言の夫 藤原棟世(ふじわらむねよ)の娘に「上東門院女房 小馬の命婦(こまのみょうぶ)」という人物がいたことが、中世の系図集『尊卑分脈』の中に記されています。

上東門院とは、「上東門院彰子」のことで、
この清少納言の娘と思われる「小馬の命婦」は、彰子中宮に仕えていたということになります、

清少納言が使えていた定子中宮と彰子中宮は敵対関係にあったはず。
ところが、清少納言の娘はその彰子中宮に仕えていたのですね。

『枕草子』の貸し出し

『枕草子』の貸し借りについての記述を見てみましょう。

11世紀の歌人・藤原範永の家集『範永集』の中に、
範永が清少納言の娘から「草子」を借りたということが記されています。

当時は、印刷技術はありませんので、
原本を拝借して書き写すということが良く行われました。
書き写す作業が終わると、原本は持ち主に返されます。

   女院に候ふ(さぶらふ)清少納言が娘小馬(こま)が草子を借りて返すとて、
いにしえの 世に散りにけむ 言の葉を 書き集めけむ 人の心よ   返し
散りつめる 言の葉知れる 君見ずは 書き集めても 甲斐なからまし(『範永集』一〇九.一一〇)

これは、典永が女院に仕えている清少納言の娘の小馬から「草子」を借りて返却するときに読んだ歌が紹介されている部分です。

「草子」というのは、『枕草子』のことであると推察できます。

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昔からある世の中に知れ渡った言葉の数々を、草子として書き集めた作者の心がしのばれるというほめ言葉として歌が添えられて返却されたのです。

さらに、その返歌として、言の葉を書き集めたことが、あなたのような方に見ていただけて甲斐のあるものとなりました、と『枕草子』の価値を認めてくれる返却者への感謝の思いが述べられます。

つまり、ここから当時の『枕草子』の評価が高く、
世間から認められていたことが確認できます。

また、『枕草子』は清少納言の娘が所有管理して、
貸出しなどもおこなっていたことも確認できます。

『枕草子』が当時の権力者藤原道長に認められたのはなぜ?

権力的な敵対関係にあった 定子と彰子。

定子に仕えた清書納言の作品が、
敵の彰子の側で珍重されたのはなぜなのか。

また、清書納言の娘が、
母親の敵方の彰子のもとに仕えたのはなぜなのか。

そのあたりの謎は興味深いところです。
機会をみて、調べてみたいと思います。

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