平安時代の女性の美人の条件は、
髪の長さ美しさにありました。
ほとんどの女性が、身の丈ほどの長さを持ち、
生涯、髪の毛を切るのは出家したときだけだったというから驚きですね。
平安女性の美人の条件
平安女性の美人の条件の一番目は、
髪の毛の長さ、美しさにあったとされています。
真っ白くおしろいを塗った顔に、
黒々とした長い髪。
どのくらい長いかというと、平均的に身長と同じくらいあったというのです。
さらに、ちぢれていなくてつやのある黒髪がよいとされていました。
平安女性のシャンプーの方法は?
では、このように長い髪はどうやってお手入れしていたのでしょう。
とくに、シャンプーがどんなにたいへんか想像にかたくないところです。
平安女性の長い髪を米のとぎ汁で洗う
これだけの髪の長さですから、お手入れもたいへん。
自分ひとりでは不可能です。
侍女たち挙げての大仕事となります。
このころの洗髪は、今のようにお湯を流して洗ったのではありませんでした。
布などにお米のとぎ汁をひたして、
髪の毛をたたいたりこすったりして汚れをとったとのことです。
この髪の毛をくしけずる水をいれる容器には名前もついています。
(ゆするつき)と言います。
とあるように、たいへんきれいな容器でした。
米のとぎ汁は、油をとかすのに有効と思われますので、
当時のシャンプー剤として使われたのですね。
シャンプー後のロングヘアをかわかす
さて、長く豊かな髪の毛の汚れを取った後、
かわかすのもたいへんな作業です。
洗って水分を含んだ髪の毛は、たいへんな重さになります。
ぬれた髪の毛を女房たちが広げてかわかしてくれるのですが、
かわくには1日かかります。
ぐっしょりぬれた重い髪の毛の持ち主は疲れ切ってしまいますね。
『源氏物語』にみる髪の毛を洗った日のできごと
これだけたいへんなシャンプーですから、頻繁に行うことはできません。
髪の毛を洗うのにも演技の良い日を選んで行います。
『源氏物語』の「東屋」の巻に、匂宮が宇治から連れてきた中の君を訪ねてきた折、
ちょうどシャンプーの真っ最中だったくだりがあります。
「折悪しき御ゆするのほどこそ、見苦しかめれ。さうざうしくてや、眺めむ」
と、聞こえたまへば、
「げに、おはしまさぬ隙々にこそ、例は済ませ。あやしう日ごろももの憂がらせたまひて、今日過ぎば、この月は日もなし。九、十月は、いかでかはとて、仕まつらせつるを」
と、大輔いとほしがる。
「折悪くご洗髪の時とは、困りましたね。手持ち無沙汰で、ぼんやりしていようかな」
と、申し上げなさると、
「仰せのとおり、いらっしゃらない合間に、いつもは済ませます。妙に近頃は億劫になられまして、今日を過ごしたら、今月は吉日もありません。九月、十月は、とてもと思われまして、いたしておりますが」
と、大輔はお気の毒がるのでした。
シャンプーするには吉日でなければいけなかったということがわかりますね。
また、女性がシャンプーした日には、他のことは何もできないほどの大仕事だったということもわかります。
たいへんなことでしたね。
平安女性のシャンプー後の髪の毛のお手入れは?
さて、やっとシャンプーが終わりました。
つやつやと美しい黒髪になりました。
そこにお香を焚いて良い香りをつけて
女房に長い髪をくしけずり整えてもらいます。
髪の毛のちぢれを気にしていた清少納言
まっすぐで豊かな黒髪がよしとされていたこの時代ですが、
『枕草子』の作者清少納言がちぢれ毛を気にしていたようです。
また、髪の毛も薄くてかつらを利用していようでもあります。
当時のかつらはもちろんのこと人毛で作られていました。
芥川龍之介の『羅生門』にも死人から髪の毛をぬいてお金にかえようとしている老婆が出てきます。人の長い髪の毛は売ることができたんですね。
まとめ
当時の女性は髪の毛を切ることもなかったようですが、
唯一切ったのが前のほう。
女子の成人のしるしとして、髪の毛の先を切ったのです。
これを鬢削ぎと言います。
今のお姫様カットのような感じです。
現代とは美の感覚がずいぶん異なっていた平安時代。
また、毎日お風呂に入ったり朝シャンのできる現代はとても幸せだということがあらためて認識できます。