『源氏物語』の読書会の講師をさせていただいていると、
源氏が書かれたころの社会のあり方や、
そのころを生きた人々に興味がつきません。
『紫式部日記』を読んだり、周辺の平安女流文学を読み漁ったり・・・。
今手にとっているのは『御堂関白日記』。
この作品からは、平安朝の男性貴族の生活をうかがい知ることができます。
『御堂関白日記』とは
『御堂関白日記』は、言わずと知れた藤原道長の手になる日記です。
当時の男性の日記は、漢文で書かれていました。
とくに、こちらは事務的なメモのようなもの。
いついつ何があった、ということしか書かれていません。
その時どう思ったかなどは記されません。
それでも、日付まで入っていますから、
当時を知るための貴重な資料です。
現存する最古の自筆本
『御堂関白日記』のさらにすごいところは、
写本でなく、道長の手による実物そのものが残っていることです。
『源氏物語』などは写本がたくさんあって、
紫式部の直筆本を見ることができません。
写本ばかりが多くてそれぞれに細かい点が異なっています。
原本がどのような記述であったのかという真実もわかりません。学者たちが、写本を研究してさまざまに検証し推測を重ねて真実を見極めようと努力を続けています。
ところが、『御堂関白日記』は道長の手そのものを見ることができるのです。
すばらしいことですね。
平安朝の役人の忙しさ
例えば、九月二十四日癸卯(みずのとう)の記述を見ると、夜中まで仕事をする役人の忙しさがわかります。
実際のところ、『源氏物語』の中の薫や匂宮が、
「宇治に行きたいけれど、仕事が忙しくすぎてなかなか行けない。」
と繰り返し述べているのを読むと、
「いったん、何がそんなに忙しかったのかしら。」
と思っていました。
けれども、九月二十四日の日記を読むと、
「なるほど。
当時の貴族はこんなふうに忙しかったのか。
これでは、宇治に行くのもたいへんなわけだ。」
ということがわかりました。
では、どんなふうに忙しかったのか、
藤原道長の日記を見てみましょう。
『御堂関白日記』九月二十四日癸卯 読み下し文
『御堂関白日記』九月二十四日癸卯 要約
この後、淡路の国の百姓たちが訴えた淡路守讃岐扶範の件で調書を取る。それをもとにした話し合いの結果、淡路の守には、別の者を任命することが決定された。夜もふけ、すべて終わったのは日付の変わった午前1時半から午前2時の間の時間だった。
『御堂関白日記』九月二十四日癸卯 解説
9月24日に、「除目」を行うために公卿たちが内裏に集まりました。
除目とは、朝廷の人事を決定する政務のこと。政務の中で、かなり重要なものです。
それが終わったのは、夜の7時から9時の間。
現代の会社で考えても、かなりの残業ですね。
ところが、この日はそれで帰宅することはできなかったのです。
次なる事案があったのですね。
淡路の国で問題が起こって、百姓たちがお上に訴えていたようなのです。
その件に対処しなければなりません。
淡路守である讃岐扶範(さぬきのすけのり)という人を呼び、尋問をします。尋問の後には、公卿たちの話し合い。
話し合いの結果は、讃岐扶範を罷免し、別の者を新たに任命して淡路の国につかわせよう、ということになったようです。具体的に後任が誰になったかということまでは、ここには記載されていません。
「疲れた」とか「たいへんだった」とは書かれていませんが、
疲労感が伝わってくるような記述です。
ため息まで聞こえてきそうですね。
すべて終了したのは、夜中の1時半から2時の間というのですから。
たったこれだけの短い記述からですが、
人々の訴えを処理するには、
たいそう時間がかかっていることがわかります。
トップの役人である藤原道長(当時左大臣)などが、
こうしたもめ事のひとつひとつの解決にあたっていたのですね。
もちろん、トップが忙しければ、その下の役人も帰宅はできませんから、みんなが忙しいということになります。
こういった調子では、匂宮も薫も忙しくて、なかな宇治にも出向けないはずです。
まとめ
『御堂関白日記』には、まだまだ興味深い記述がたくさんあります。
一方『栄華物語』という作品をひも解でけば、女性の側から藤原道長を描いていて、
違った趣があります。
今受験生の方には、いろいろな作品を読み浸るゆとりはないかもしれませんね。
でも、これからの生涯の中で、古典に親しみ、古人の生活に思いをはせることは素敵な時間になるはずです。
『源氏物語』の読書会に集う年配の方々が、
カルチャーセンターの中でも、
ただ源氏を読むことに時間を割くことを選ばれたというのは、
すごいことだと思います。
その行動によって、生活がとても豊かになっていらっしゃるだろうなと思います。古典は、将来もう一度手にとって親しんでもらいたい。古典を教える私たち国語教師の多くは、そのような思いで授業をしています。
私も古典について、おもしろいエピソードなどをご紹介できるようがんばってまいります。