『源氏物語』須磨 その3 の原文
前栽の花、いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に出で給ひて、たたずみ給ふさまの、ゆゆしう清らなること、所がらは、ましてこの世のものと見え給はず。白き綾のなよよかなる、 紫苑色など奉りて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、
「 釈迦牟尼仏の弟子」
と名のりて、ゆるるかに読み給へる、また世に知らず聞こゆ。
沖より舟どもの歌ひののしりて漕ぎ行くなども聞こゆ。ほのかに、ただ小さき鳥の浮かべると見やらるるも、心細げなるに、 雁の連ねて鳴く声、楫の音にまがへるを、うち眺め給ひて、 涙こぼるるをかき払ひ給へる御手つき、黒き御数珠に映え給へる、ふるさとの女恋しき人々、心みな慰みにけり。
初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき
とのたまへば、良清、
かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども
民部大輔、
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
前右近将督、
「常世出でて旅の空なる雁がねもつらに遅れぬほどぞ慰む、友惑はしては、いかに侍らまし。」
と言ふ。 親の常陸になりて、下りしにも誘はれで、参れるなりけり。下には思ひくだくべかめれど、ほこりかにもてなして、つれなきさまにしありく。
『源氏物語』須磨 その3 のあらすじ
須磨での源氏の清らかな様子と供人の想い。
『源氏物語』須磨 その3 の超現代語訳
庭の植え込みの花が色とりどりに咲き乱れて美しいと感じる夕暮れ時のことでございます。
源氏の君が海を見渡せる廊下にお出ましになられて、佇んでいらっしゃいます。
そのお姿の清らかさと言ったら、神がかっておられました。須磨という場所がらからか、なおさらこの世の物とはお見えになられません。
源氏の君の装いはこれまた神秘さをましておられます。白い綾織の布の柔らかものに、うす紫の紫苑色の指貫をお召しで、お直衣は色濃く、帯は無造作に着崩された様子のままでございます。
「 釈迦牟尼仏の弟子」
と名のって、ゆったりとお経をお読みなさいます。その声も比類なく心に沁みて聞こえます。
はるか沖の方からはいくつもの舟の船頭たちが大声で歌い騒いで漕いで行くのが聞こえてまいります。遠くに浮かぶ舟は薄っすらとして、まるで小さい鳥が浮かんでいるように見えるのです。それももの寂しい感じがいたします。
雁が連なって飛びながら鳴く声が船の楫の音によく似ています。
それを源氏の君はぼんやり眺めなさって、こぼれる涙を拭われれるお手つきが、黒い数珠に美しく映えていらっしゃいます。
その様子が、都に置いてきた女性たちを恋しく思うみなの心慰めたのでございます。
初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき
初雁は恋しい人の仲間なのであろうか。旅の空を雁が飛んで行く声が悲しく響いているよ。
と源氏の君がおっしゃると、良清は、
かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども
連なって空を飛ぶ雁の声を聞くと昔を思い出されます。雁があの頃の友ではないのに。
民部大輔(惟光)は、
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
自ら常世の国を捨てて鳴いている雁のことを、今までは雲の向こうのことだと思っていたのですよ。
前右近将督は、
「常世の国、海の彼方にあると言われる理想郷、そこを出て空を旅している雁も、仲間の列から遅れないで飛んでいるうちは心も慰みましょう。でも遅れて一人になってしまったらどんなになってしまうのでしょう。」
と言います。
前右近将督は自分の親が常陸の国司として下向していったのにもついて行かずに、須磨にお供として参っているのでございました。
心の中では、きっと尽きない悩みもございましょうが、人前では誇らしげに振る舞って、平然とした態度で動き回っています。
先生の感想
雁に託した一行の想いもこの情景の中でこそ共感できるものになります。