『大鏡』三舟の才 現代語訳 よくわかる訳

『大鏡』三舟の才 の原文

一年、入道殿の、大井川に逍遥せさせたまひしに、作文の船、管弦の船、和歌の船と分かたせたまひて、 その道にたへたる人々を乗せさせたまひしに、この大納言の参りたまへるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき。」と のたまはすれば、「和歌の船に乗りはべらむ」とのたまひて、よみたまへるぞかし、
小倉山あらしの風の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき
申し受けたまへるかひありてあそばしたりな。御自らも、のたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。さてかばかりの詩をつくりたらましかば、名の上がらむこともまさりなまし。口惜しかりけるわざかな。さても、殿の、『いづれにかと思ふ。』とのたまはせしになむ、われながら心おごりせられし。」とのたまふなる。一事(ひとこと)のすぐるるだにあるに、かくいづれの道も抜け出でたまひけむは、いにしへも侍らぬことなり。

『大鏡』三舟の才 のあらすじ

大井川で舟遊びをした時、「漢文・和歌・管弦楽」と三つの舟を用意して、藤原公任大納言がどれに乗るかを藤原道長入道が楽しみにしていたところ、和歌の舟に乗って、すばらしい歌を披露した。本人は漢文のに乗れば良かったかと後悔しながらも、道長の期待を喜んだという話。公任の才能が多方面に渡ったことを言っている。

『大鏡』三舟の才 の超現代語訳

訳を読む前に

藤原公任はこの時大納言で、
同い年の道長と位階を争っている真っ最中でした。

公任は歌が上手で、
拾遺和歌集は公任の編とも言われています。

一条天皇の即位によって、
政治の中心が、
公任の父頼忠から、
道長の父兼家に移ったのが寛和2年986年

この舟遊びは、歴史的には同年10月に円融上皇の主催により、
大井川で行われたものです。

小倉百人一首の五十五番
「 滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」

は公任の歌です。

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超現代語訳


ある年、
道長入道殿が大井川で舟遊びをしなさったとき、
舟が三つ用意され、
一つは漢詩を作る作文の舟、
二つ目は和楽器を楽しむ管弦の舟、
そして三つ目は和歌の舟と分けてありました。

そして、それぞれの舟にその道の達人を乗せなさったのでございます。

その時、公任大納言が参上なさっていらしたので、
入道殿は、
「あの大納言は、どの舟に乗りなさるのだろうか。気になるぞよ。どれに乗っても立派な振る舞いをされる方だものな。」
とおっしゃったところ、

大納言殿はご自身で、
「和歌の舟に乗るつもりでございます。」
とおっしゃって、和歌の舟を選ばれました。

大納言殿が舟の中でお詠みになった歌がこれでございます。

小倉山あらしの風の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき

秋になって、小倉山では嵐山からの冷たい風が強く吹いてくる。紅葉も激しく落葉して、まるで人がみんな紅葉の葉っぱをまとっているようだ。

さすがに大納言殿は、ご自分から申し出ただけあって、
とっても上手にお詠みになることでした。

でも、ご本人は

「漢文の作文の舟の方に乗ったらよかったかもしれないな。漢文の舟でこの和歌くらいの漢詩を作ったら、今以上に名前があがっただろうに、ちょっと失敗だった。まあそうは言っても、入道殿が、『大納言はどの舟にするかと思うか。』とおっしゃられたのには、ちょっと自慢したい気持ちになるよ。」

とおっしゃられました。

先ほどの入道殿のご発言は、入道殿が大納言殿の三つのどの才能も認めているということの証だとお考えになったのでございます。

だれでもそうですが、
たった一つの事でも優れていたらすばらしいのに、
大納言殿のようにどんな方面でも人より抜きん出ているということは、
昔から今まで聞いたこともないですね。

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