『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母の激しさ

平安時代の女流文学。
世界に名だたる『源氏物語』を軸として、
その前と後というように味わってみると、
おもしろいことがわかります。

『源氏物語』に影響を与えた女流文学。
『源氏物語』から影響を受けた女流文学。
というように分けられるからです。

それほど、『源氏物語』の存在は大きいということです。

『源氏物語』に影響を与えた『蜻蛉日記』

藤原道綱母が書いた『蜻蛉日記』のとくに後半部分は、『源氏物語』の先駆的作品と言われています。

当時の日記文学は、現在の日記とは少し異なります。
『アンネの日記』のように、日々の出来事を記録していったものとは異なり、
過去を振り返って、あるテーマのもとに書き進んだのだろうと思われるひとつの作品としての形を成すものです。

『蜻蛉日記』の後半部分の表現形式は、
和歌を軸として、その周辺の出来事を詳しく記す形式が、
『源氏物語』にも通じるところです。

夫の浮気相手「町の小路の女」の出産と子の死

美しく優秀な藤原道綱母

歎きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る         右大将道綱母(53番) 『拾遺集』恋四・912

百人一首にもとられているこの有名な歌で知られる藤原道綱母は、
当時の三大美女のひとりといわれるほどの美女。
歌の才にも恵まれていました。
さらには、裁縫や染め物にもたけていたようです。

美しさと優秀さを兼ね備えた天に何物も与えられた女性だったんですね。

美しいばかりでなく、何もかも整った優秀な人って現代でもいますね。

彼女はまさにそういった女性だったんでしょうか。
気位が高くなるのも、もっともな気もします。

藤原道綱母の激しさ

ただ、才色兼備の彼女には、気性の激しさもあったようです。
夫が、何もかも兼ね備えた自分より格下と思える女性に懸想することは彼女のプライドが許さなかったのでしょうか。激しく反発し、夫には正面から怒りをぶつけるばかりでなく、お相手の女性に対しても敵対心をむき出しにします。

自分より先に結婚していた正妻の時姫には、
作者も一目置いているようです。
けれども、自分より格下の町の小路の女に対する徹底した攻撃はすさまじいものです。

兼家様からあきられてしまったばかりでなく、
町の小路の女は、子供に死なれたんだって。
自分が苦しんだよりもっと苦しんでいることでしょう。
いい気味。胸がすっとしたわ。
相手の不幸を目の当たりにしていい気味、と言ってのけるところ、おそろしいほどの激しさです。

その記述は下記の部分。

かうやうなるほどに、かのめでたき所には、子産みてしよりすさまじげになりにたべかめれば、人憎かりし心、思ひしやうは、命はあらせて、わが思ふやうに、おしかへしものを思はせばや、と思ひしを、さやうになりもていき、果ては、産みのしりし子さへ死ぬるものか。
孫王の、ひがみたりし皇子の落としだねなり。いふかひなくわろきこと、限りなし。ただ、このごろの知らぬ人のもて騒ぎつるに、かかりてありつるを、にはかになりぬれば、いかなる心地かはしけむ。わが思ふには、今少しうちまさりて嘆くらむと思ふに、今ぞ旨はあきたる。
今ぞ例のところにうち払ひてなど聞く。されど、ここには例のほどにぞ通ふめれば、ともすれば心づきなうのみ思ふほどに、ここなる人、片言などするほどになりてぞある。出づとては、必ず、「今来むよ」と言ふも、聞きもたりて、まねびありく。
そうこうしているうちに、あのすばらしく盛んだった町の小路の女のへの寵愛は、町の小路の女が子を産んでからしらけてしまったようなの。
私は町の小路の女が憎くて意地悪くなっていたから、
あの女に対して私が思っていたことは、
命は長らえて、私が苦しんだのと同じような思いを逆にさせてやりたいって思っていたら、
その通りになってしまって。
ついには、産んだ子供まで死んでしまったとは。あの女は、天皇の孫で、世をひがんだ皇子の隠し子で、
言う価値もないつまらない素性であることは際限もないほど。ただ、この頃の事情を知らない人たちがもてはやすから、いい気になっていたのね。
それが突然に子供が死んでしまったので、どんな気持ちがしたことでしょう。私が苦しんでいたのより、少しまさって嘆いているだろうと思うと、
今は胸がすっと軽くなるような気がしたわ。
今は兼家様は時姫様の所に通っていると聞くわ。けれども、こちらにはいつものような程度に時折通ってくるので、
ともすれば心が満たされないような気もするのよ。私の幼い道綱が片言など言うくらいに成長したの。
兼家様が家を出るときは必ず、
「今すぐまた来るよ。」
と言うのを聞きおぼえて、真似してばかりいるの。

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藤原道綱母の妻として位置づけは?

さて、ここで藤原兼家の妻として、道綱母はどういった位置にいたのか確認してみましょう。
平安時代の貴族の男性は、複数の妻がいるのがふつうでした。

夫の藤原兼家は藤原道長の父親。

藤原道長といえば、貴族の頂点として次ような歌を詠んだことで有名です。

この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば

勢いも実力もある貴族。
子の道長の最高の栄華に向かって右肩上がりに出世街道を進んでいます。

その正妻が時姫
時姫は、子宝に恵まれて三男二女を儲けました。

子供たちは、男子は摂関家の跡継ぎ、
女子は天皇に輿入れをするなど、
栄えたため、時姫も母として重んじられます。

後に兼家が新築した際にも、
時姫だけが正妻として呼ばれましたが、
道綱母は本宅に入ることができませんでした。

いっぽう道綱母には、男の子がひとりだけ。
道綱です。

この子は、蜻蛉日記の記述を見ると、
とてもやさしい母親思いの子供のようです。

夫兼家は、道綱母のところには頻繁に訪れてはくれません。

道綱母は自他ともに認めるたいへんな美人なうえ、
歌の才も自他ともに認めるところ。
夫が自分を重んじてくれないと、プライドが許しません。

ですから、兼家の訪問が少ない、ということでいつもぷんぷんしています。
せっかく訪ねていっても、いつもいつもつんけんされたら、
兼家といえども、行くのが嫌になってしまうのでは・・・。

もう少し穏やかでおっとりしていたら、
兼家様も、もう少し頻繁に訪れてくれたのではないかしら?

よけいなお世話なのですが、そのようにかんぐってしまいます。

ということで、正妻の時姫には一目置かぜるをえない。
でも、自分の後から兼家が通うようになった女性のことは、
プライドの高い道綱母にとっては浮気以外の何物でもないと、怒ってしまうのですね。

持前の文学的才能をいかんなく発揮し、
いつも待つばかりで袖を濡らしている自分を小説の主人公のようにして『蜻蛉日記』を書いたのです。

この作品を読んでいくと、
当時のお姫様は、おっとりしていて子供っぽい女性が美とされたそうですが、
実際には、激しさを持つ女性も多くいたのではないかしら、と思います。

平安文学を知れば知るほどおもしろい平安女性のあり方

『源氏物語』を筆頭に、数多く残る平安女流文学。

さまざまな作品を読めば読むほど、彼女たちの生活への興味は深くなります。

そのお手伝いをしてくれるのが角川書店から出版されている
角川ソフィア文庫 ビギナーズクラッシックス 日本の古典
です。

 

 
今回取り上げた『蜻蛉日記』ほか、
数多くの作品をこのシリーズで読むことができます。

訳文、原文、解説。
という形で、主だった部分が紹介されて、
1冊読み終える頃には、その作品について大まかに知ることができている、
という構成のシリーズです。

受験生には、ぴったり!
今の受験生はいいなぁ、と思ってしまいました。

ぜひ、このシリーズで古典作品の楽しさを味わってみてほしいなと思います。

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