『伊勢物語 』東下り 三河国まで 現代語訳 おもしろい 古文

1 『伊勢物語』東下り 三河の国まで 原文冒頭

昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、ひとりふたりして、行きけり。道知れる人もなくて惑ひ行きけり。

三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。

2 『伊勢物語』東下り 三河の国まで あらすじ

京都の貴族でまあまあの地位だった男が、自分の今に落胆して将来に見切りをつけて、少しのお連れと東に下っていく話。期せずして一行には初めての体験が次々起きて、場所場所で感動しながらも望郷の念が高まる様子が歌を中心に描かれている。
この段は京都から三河まで。

3 『伊勢物語』東下り 三河の国まで 超現代語訳

自分は京の貴族の中でも、まあまあの地位も名誉もある人間だったんだ。

でも理由は言わないけど、
ある日もう自分なんて用無しだなって思って、
もう京都にはいたくないやって思ったんだよね。

自分に見切りをつけたって感じかな。

その頃東京なんて動物しか住んでないくらいに思ってたけど、
自分みたいなダメ男でも東なら相応しい国があるかもしれない、
だったらそれを探しに行こうって旅に出たんだ。

最愛の妻は都に残してね。
昔からの連れと二、三人でね。
それは寂しいものだよね。

道がわかる人もいないから所々で迷ってね。苦労して行ったんだ。

途中、三河国で八橋ってとこに着いて、ここでちょっと思い出あるから話すね。

そこは何で八橋って言うかというと、
そこで川の流れが蜘蛛の足みたいに八つに分かれてて、
橋を八つに渡してあるからそう言うらしいんだ。

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このネーミングセンスに結構感動したんだ。

しかもそこにたくさんのかきつばたが感動的に咲いてたんだよね。

だから誰かが、
「かきつばたっていう五文字を句の頭に置いて
旅をテーマにした歌を作ろうよ」って言ったんだ。
驚くかもしれないけど、
和歌を作るのは僕たちがしょっちゅうやってる遊びみたいなもんだよ。

で僕が作った歌がさ

か!唐衣を き!着ながら体になじませるように慣れ親しんだ つ!妻が都にいるのに は!るばるこんなとこまで来ちゃったこの た!びって何なんだろう」

これ聞いたみんながさ、もう泣いちゃって泣いちゃって。
干し飯食べようと思ってたのに、
その上に涙が落ちてふやけちゃったよ。

みんな都が恋しいんだよね。

三河 知立(ちりゅう)かきつばた園のご紹介

無量壽寺のある八橋は「伊勢物語」の時代からかきつばたの群生地として有名です。幕末期に絶えかかっていたかきつばたを、この無量壽寺に移植したと言われています。
室町時代の延文5年(1360年)臨済の僧恵玄が中興し、江戸時代の宝永8年(1711年)にいたり、同宗妙心寺派になりました。
文化9年(1812年)方巌売茶翁により再建が行われ、かきつばた庭園はこのときに完成しました。三河富士と呼ばれる村積山及び逢妻川を借景した雄大な煎茶庭園はかきつばたの匂うばかりの濃紫と相まってその美しさはまた格別の風情があります。八橋かきつばた園の概要
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